なぜ日本はフジタを捨てたのか? 藤田嗣治とフランク・シャーマン 1945~1949

なぜ日本はフジタを捨てたのか?
藤田嗣治とフランク・シャーマン 1945~1949
富田芳和著
静人舎

美術ジャーナリスト 富田芳和さんの著書。戦後の日本の美術界の動き、GHQの文化戦略、戦争画を描いた画家たちへの対応。藤田嗣治と彼を支えたGHQの美術教育担当官だったフランク・シャーマンの交流から知ることができます。

フジタは、戦争画を描いたことでバッシングを受け、日本を離れアメリカ・フランスへと渡りますが、あまり語られることの少ないその時代の状況が、シャーマンが遺した資料(シャーマンコレクション)をもとに描かれています。スパイ映画さながらの展開で、この部分だけを本当の映画にでもしたらと思うほどに引き込まれました。( 映画「FOUJITA」とは異なるタッチになるはず )

さらに、戦後の美術史の線上にいる私たちは、日ごろ触れている作品を描いた画家たちの社会的な役割についても理解が必要と思いました。どうしても、普段作品をみるときは、その名声や価格に心がいってしまうのですが・・・。

終戦の1年前、昭和19年の初夏に東京美術学校で美校クーデターと呼ばれている大規模な人事異動が行われます。まだ、戦争は終わっていないにも関わらず、戦争記録画を描いてきた教員が排除され、これまで在野にて、戦争画に関わってこなかった画家たちが新たに職を得るというものでした。この動きは、フジタへのバッシングにもつながっていきました。このクーデターのリーダーには、戦争画政策のトップ、日本美術報国会の会長を務めていた横山大観もいました。戦争画を描くことなく画壇での地位を維持し続ける保守層がいた反面、思想と行動を一致させることができずに、フジタのように、モダニストでありながら、ただ絵を描いたが故に、戦争画を描いたことでバッシングを受ける画家もいました。

この本を読んでいると、ここに記されている社会の構造、雰囲気、それらは今も変わらないのではないかと感じます。ですが、もし、我々一人ひとりが、それぞれの分野で、フランク・シャーマンのように守るべきものに対して主体的に挑戦することができたならば、何かを一人ひとりがなしうるのではないかと思いました。

■シャーマンコレクションについて
フランク・シャーマンは、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の印刷・出版担当官として来日し、日本滞在中に、多くの日本人芸術家と交流をもち、彼らの作品をコレクションしました。シャーマンの死後、その膨大なコレクション(通称シャーマンコレクション)は、シャーマンと親しかった河村泳静さんに引き継がれた後に、河村さんと縁のあった野田弘志さんを通じて伊達市教育委員会に寄託され、現在は、伊達市アートビレッジ文化館で管理されている。(伊達市ホームページより)
http://www.city.date.hokkaido.jp/kyoiku/detail/00005450.html

■河村アートプロジェクト
藤田嗣治からフランク・シャーマンへ友情の証として贈られた 銅版画原版から、著作権継承者とフランス美術著作権協会(ADAGP)の特別な許可を得て、版画を制作し広く頒布することでフランク・シャーマンの業績を顕彰し、 また若き芸術家を支援する資金に供しようというプロジェクト。
http://k-a-p.jp/