夏の雑感

久しぶりに演劇をみて思ったこと。

舞台を眺めていると、最初は、テーマやそこにある社会問題とか時事ネタみたいな表層から内容を理解しようとするのだけれど、しだいに、だんだん引き込まれて、自分の実体験と照合して身につまされて観たり、自分が役者さんだったり、演出家、脚本家だったらどうするかなあなんて思ったり。窮屈に体を置くのとは対照的に、頭は様々なことを試みている。

そのような中で、「表現する人たち特有の技巧的な秀逸さ」があるのではないかと思った。演劇や絵画の教科書に何か秘術が書かれていて、その秘術を使いこなしている。だから、こんなに楽しいし、違和感を感じさせない。お笑いにも台本があるというけれど、普段、私たちはは、その台本を感じさせることはない。これを普通、秘術とは言わずに、鍛錬とか、精進とか、努力とか呼んでいて、実際それが真だと思うけれど、それを感じさせずに自然を作っている。到達点がやはりあるのだろう。

「シナリオ通り」とか「筋書き通り」などと普段の生活でも言うけれども、それは、舞台でも実社会でも結局は同じで、創作活動に憧れは感じるけれども、どちらにあっても自由ではなくて、どちらにも裁量のようなものはあるけれども、その定めの中にあってどのように自分を置くのか、そこを泳ぐのが生きる人にとっての永遠の課題なんだろうと思った。

その向き合い方が、人によっては演劇であったり、絵画であったり、会社員だったり、主婦だったりするのだろう。職業によって定義するのではなくて、どちらかというと生き方のようなものだと思う。ただ、多くの場合、生業と切り離しずらいから職業を述べてしまうのだけれども、もっと相応しい言葉があるとしたら「活動」という言葉ではないだろうか。

生きる活動として、何をしていくのか。それをもっともっと問うてもいいと思った。あくまでも僕自身のことだけれども