原爆と能

能のことを少し調べたいと思い、古書店で多田富雄さんの『能の見える風景』(2007年出版)を購入した。そして、読み進めていると、古書ならではの偶然が起きて恐れを感じた。

多田富雄(1934~2010)さんは、免疫学者でありながら能に造詣が深く、能関連の本を多数執筆されている。そして、本を読み進めていると被爆60周年のときに、『原爆忌』(広島)や『長崎の聖母』(長崎)といった新作能を作られていることを知った。著者が得た原爆に対する広島と長崎の受け止め方といった論考についてはここでは割愛するが、『長崎の聖母』について書かれた短編の最後に、「この能を苦しみの中から復活した長崎市民に捧げる」とあり、その長崎市民のところに強い太線が引いてあったのだ。割合綺麗で価格も安かったので購入した本で、その章にくるまで線などひかれておらず、あわててその先もページをめくったが、書き込みも線も皆無である。ただ1本の線がそこにだけある。

ちょうど長崎に原爆が投下された日に、まったくそのことと無縁に手にした本だったので、怖い気持ちになったし、誰がどんな思いでそこに線を引いたのか、いろいろな考えが頭をよぎった。

例えばそれは今生きている市民でなく、亡くなっていった人たちに捧げるべきだとする主張だったのか。それとも、長崎出身の方で、まさに私がその長崎市民だと線を引いたのか。はたまた、長崎という地域ではなくて日本全体や世界の人々であろうといった思いからなのか。

この本の中で、能は幽界からの使者が語る物語であるといったことが書いてあったのだが、そこまで遠くではない、本の前の持ち主の想いを振り返ろうとするだけでも、こんなに大変なことなのかと思い知る。ましてや、広島や長崎での式典のニュースをみたけれども、私自身が死者が語る言葉に耳を傾けているとは言い切れないことは自明だ。死者の声を聴くということはどういことなのか。大きな問いだけが残る。

この出来事から、改めて原爆と能を調べてみると、新作英語能で『オッペンハイマー(Oppenheimer)』が喜多能楽堂で上演されていたことを知った。

■英語能 新作『オッペンハイマー』/再演『青い月のメンフィス』公演のご案内
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000042.000065365.html

■原爆開発を指揮 オッペンハイマーの能が上演 8月6日に東京で
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250807/k10014886721000.html

知らなかったことが、何かつながっていった1日。8月特有の「におい」も感じながら、もう少し向き合っていけたらと思っている。