笠井賢一著『芸能の力 言霊の芸能史』

『芸能の力 言霊の芸能史』笠井賢一著 藤原書店

能や狂言に関心はあるものの、入りにくいな・・・という時は、この本を手にするとよいかもしれない。何か逆説的なのだけど、読後に能のことを調べてみよう、何か良いサイトはないかと検索をしてみると、いつもながらのビジュアルが登場し、「やっぱりわからない・・・」という印象と一緒に阻害を感じてしまった。
けれども、本書のように、そのビジュアルはなく、古事記などの神話に始まる芸能の息吹、また、観阿弥・世阿弥のような、時の為政者との関わり、まだ源平の戦の記憶が今よりも新しく、平家物語が古典でなかった頃に、それが能に昇華されていくことの生々しさ。
また、江戸時代の浄瑠璃や、能を伝える家々の親子であり子弟である関係の中で養われていく視座のようなもの、それらのリアルティを活字からたくさん吸収したほうが、結果、能を楽しむ際には近道なのではないか、そのように感じました。
このことは、私たちが個人のヒストリーとして持っている、何か小さなきっかけが、古典芸能への良アクセスになることを教えてくれると思う。
戦国武将マニアでとか、神社巡りが好きとか、いやいや空間デザインをやっていましてとか、出身が○○で演目の舞台になっているところでなどなど、どんな些細なことでもよくて、何かその小さな手掛かりをもとに難事件に挑む探偵のようなものかもしれない。
そして、訪れてみると、能の世界に縦横無尽に繰り広げられるテクニックが、徐々に徐々にその人に浸透していくのではないでしょうか。きっとそのときは、難事件と思えたようなものはなくて、何か解放されたような心持になれることを想像します。
そのように思うのは、まさに、本書の読書体験がそのように感じさせたからです。知識がまばらで乏しくても、何か宝物を探すように、著者が演劇人生で築き上げてきて知見に触れて、新しい発見に喜ぶ自身の姿がありました。
普段は、どうしても競争や見栄の中で、知識をひけらかしたり、何か自慢したりと、つまらない醜態をさらしているように思うので、何かこうした書に出会い彷徨ったり、格闘したりすることは、とてもうれしい体験です。そして舞台の前でも、全身全霊で芸能を受け止めて、誰にでもない自分の宝物を感じられたのなら、これほどの幸せはないと思うのです。

著書経歴(藤原書店ホームページより)
笠井賢一(かさい・けんいち)
1949年生。銕仙会(能・観世流)プロデューサーを経て、アトリエ花習主宰。演出家・劇作家として古典と現代を繫ぐ演劇活動を能狂言役者や現代劇の役者、邦楽、洋楽の演奏家たちと続ける。玉川大学芸術学部、東京藝術大学美術学部の非常勤講師を務めた。
主な演出作品に、石牟礼道子作・新作能『不知火』、多田富雄作・新作能『一石仙人』、東京藝術大学邦楽アンサンブル『竹取物語』『賢治宇宙曼荼羅』、北とぴあ国際音楽祭オペラ『オルフェーオ』、アトリエ花習公演『言葉の力――詩・歌・舞』創作能舞『三酔人夢中酔吟――李白と杜甫と白楽天』など。編著に『花供養』(多田富雄・白洲正子著)『芸の心――能狂言 終わりなき道』(野村四郎・山本東次郎著)『梅は匂ひよ 桜は花よ 人は心よ』(野村幻雪[四郎改]著、以上藤原書店刊)など。